幼少期~小学校時代
私は岩手県稗貫郡大迫町という駅もないぶどうと田んぼが広がる町で4人兄弟の次男として生まれました。(今は市町村合併して花巻市になりました)
当時母がバス会社で働いていましたので、保育園に入園する前までは母方の祖父、祖母が面倒を見てくれました。祖父がぶどうを作っていたのでいつも、ぶどう農園に仕事について行ってました。だいぶ甘やかされたようで、保育園に入園する前まで、哺乳瓶でジュースなど水分をとっていました。このままじゃいけないと思った祖母が私の哺乳瓶を川に投げ捨てようとしたのを泣きながら追いかけ止めようとしたのを覚えています。実際は川に投げ捨てるフリをしたのをあとから祖母から聞きました。そして、私は小さい頃から野菜が大嫌い。保育園で出される給食も食べられず、みんなが給食を食べて遊んでいるなか、私は居残りで保育士さん監視のもと、野菜を食べるかチェックされてました。それでも野菜嫌いが治らず、小学校に入っても昼休みは先生と机を挟んでマンツーマンで対応する毎日。先生の努力が実ってか、カレーを食べ切ったら学級新聞に「たかし君がカレーを食べた」と載るほどの衝撃的なことが起こりました。この件で、クラスメイトのママさんにも私の野菜嫌いが知れ渡る恥ずかしい事件でした。
中学生時代
中学に入学するとバスケットボール部に入部しました。バスケ部は県内でも強豪で入部してもボールなんて触らせてもらえません。毎日体育館の周りを走るだけ。当時は部活中に水を飲むなんて厳禁だったので今思えば、よく熱中症や脱水症にならなかったなと思います。私の1学年上の先輩たちが最強に強くて、県大会優勝、東北大会にも出場しました。先輩が引退すると私たちです。前年の県大会優勝という強豪校のキャプテンを任されることになりました。負けられないプレッシャーの中ではじめてチームをまとめるという大役。ストレスでニキビがたくさんできました。勝たなきゃいけない。負けたら、今年は弱いねって言われる。部員たちもまとめなきゃいけない。気負いすぎたのか、実力がなかったのか地区予選で敗退。県大会にすら出場できませんでした。負けて家に帰ってワンワン泣いたのを覚えています。人生ではじめての挫折です。学校にも行きたくない。みんなに笑われてるんじゃないか?恥ずかしくて、悔しくて、学校に行くのも嫌でしたが、不登校にはなりませんでした。部活を引退すると暇です。次に何に打ち込もうと考えたとき、部活ばかりやっていて成績が落ちこぼれだったので、受験も控えていたので勉強に打ち込みました。勉強の甲斐があって成績も伸びて無事に高校に入れました。
高校時代
岩手県内にある黒沢尻工業高校の土木科という高校に進学しました。ラグビーやバスケ、ボクシングが強い高校でした。最初はバスケ部に入ったのですが、レベルが高すぎてついていけずに退部。またまた挫折しました。その後は部活はやらずにアルバイトと勉強(テストの前日だけ)に明け暮れていました。卒業生のほとんどが就職する学校だったので、少しでも就職に有利になるように資格取得の勉強は頑張ったと思います。その甲斐あってか、難しい国家資格の測量士補にも合格。そのまま就職しようと思っていたのですが、担任から大学への進学を薦めれらました。日本大学を志望校にして大学進学の勉強を始めました。でも落ちたときのことを考え、当時町役場で職員を募集してたのでそちらも併願で受けることに。幸いにも大学に受かりましたので、役場職員の面接は辞退しました。
大学時代
日本大学工学部土木工学科に入学。家が裕福とは言えなかったので大学には奨学金を借りて足りない部分の生活費はアルバイトでなんとか賄って通っていました。理系の大学は実験、レポートなどもありとても大変だったのを覚えています。徹夜もザラにあります。遊ぶ暇もありません。大学、バイト、アパートでの生活以外に記憶がなく華々しいキャンパスライフとは程遠かったなと今でも思います。大学3年になると就職活動が始まりますが、私は不況にも強く安定している公務員狙いで就職活動は一切してませんでした。当時不況で公務員の受験者数が多く、私は受けた国家公務員、地方公務員試験全部落ちました。本当に情けない状況です。人生3度目の挫折。でも働かないと奨学金の返済もできません。地元岩手県の建設会社に社員募集していないのに電話してなんとか試験を受けさせてもらい、就職することができました。
就職
建設会社に就職して、現場監督のサポートをする役割をしていました。下請けの管理も仕事の一つで、どれだけ安くコストカットするのか?下請けさんの日給を下げるように言うのも私の仕事でした。下請けの職人さからは給料下げたことで私に突き刺すような視線を向ける人、直接暴言や脅しとも取れるようなことを言ってくる人などなど。形に残って、後世に残せるものを作りたいという理想を胸に高校、大学と学んできたことが日々崩れていく毎日でした。もちろん、綺麗事でご飯は食べられない、企業は生きていけないというのも今ではわかりますが、当時は理想に萌える若者だったので、この会社じゃ自分の理想を叶えられないと退職しました。
その後上京し、派遣で現場監督もするも大幅な給料カットで退職。
今一度、自分が何をしたいのか?自分だったらどんなことで人の役に立てるのか?
そして、高校、大学と学んできた土木の知識を活かせる職種はないか?
と考えたときに、
昔から人の話を延々と聞いていた、相談を受けることが多かった
その人たちにアドバイスしたり解決できたことが嬉しかったのを思い出しました。
そこで土木の知識を活かせて、人の話、悩みやお困りごとを解決できる仕事は何かと考えたとき、営業職で不動産会社に入社しようと思い転職しました。
不動産会社への転職
私が転職した不動産会社は大手不動産仲介会社でした。面接のときに教育制度も充実しているという言葉を信じて入社しましたが、実際は教育制度なんてない。見て覚える。経験しながら覚えるというものでした。上司に聞いても自分で調べてと言われる始末。不動産の知識も、営業も未経験だったので、とりあえず本をたくさん買って読み漁りました。不動産の基礎知識、営業の仕方、会話術などなど。たくさん学んで実践したけど家は売れない。トップ営業マンは口がうまく、強引な営業で成績を伸ばしている。でも、私は口も上手くないし、強引に営業することもできず、成績もビリ。そんなダメダメ営業マンの私に上司は厳しくあたってきます。今月は契約取れるんだろうな!どうなんだ?おいっ!机を蹴ってきます。詰め寄られる毎日。今だったらパワハラなのですが、当時パワハラなんて言葉もありません。上司に怒られないように見込客に電話するも成績は上がりません。そんなとき、1組の親子が私にとってはじめてのお客様になってくれました。50代のお母様と20代の娘さん。お母様はガスの検診で貯めた1700万円の貯金を頭金に中古の戸建てを買おうとしてました。私がご紹介した物件を気に入ってくれて購入していただきました。当時知識も経験もない20代の若造だった私に人生で一番高い買い物であるマイホーム購入の担当者として選んでくれ、鍵を渡したときに「ありがとう」と言ってくれたその一言がとても嬉しかったので、不動産業界で生きていこう!一生の仕事にしようと決心しました。
その後トップ営業マンになるというのがサクセスストーリーなのですが、実は私は一度もトップ営業マンになったことはありません。
でも、トップ営業マンでなくてもクライアントさんを喜ばせることはできます。
その後、千葉県にある不動産会社に転職しました。
そこでは、土地の開発分譲、新築請負、中古の戸建て、マンションを仕入れてリフォームした販売する事業、競売入札を経験しました。裁判や修羅場も経験しました。当時の不動産業界は新築戸建が儲かると理由で中古の戸建てやマンションは今ほど取引が活発ではありませんでしたが、これからは新築ではなく、中古がもっと取引される時代が来ると思い、そこで、中古専門の不動産会社で独立しました。
独立するもすぐに倒産の危機
中古の専門家と名乗るなら、自分で中古を買う、リフォームする、売るという経験を積んだほうがいいと考えました。(これを不動産業界では不動産の買取再販事業といいます)
はじめて買ったのは大手不動産仲介会社から紹介された千葉県にある築30年を超える戸建。
この物件を買ったことで、倒産の危機にあいました。
実はこの戸建てがお隣さんとの境界トラブルに発展しました。
大手不動産仲介会社の対応が悪かったため、お隣さんが激怒。
なかなか話が進みません。そして、境界のトラブルがある物件は売れません。
私はこの物件を買うのに1年間の融資返済を条件に銀行からお金を借りてました。
この家が売れないと、銀行に返済ができません。つまり倒産の危機です。
大手不動産仲介会社が何ヶ月もかけてお隣さんと話し合うも、一度亀裂が入った関係はなかなか修復しませんでした。
私も返済期限が迫る中、夜も眠れない。寝るためにウィスキーを半分飲んでも夜中目が覚める。
目の前た真っ暗になるということがありますが、車を運転しているときにそれが起きました。
あ~このまま自殺しちゃいたい。
と思う反面、まだ行けると自分を奮い立たせ、大手不動産会社に今後は私がお隣さんと話す。と伝え手を引いてもらいました。
なんとかお隣さんとの話し合いで解決ができ、物件を販売して2週間で売ることができ、倒産の危機を免れました。
その後も物件を買って、販売は大手に任せていただのですが、何ヶ月経っても売れない。
でも私が売り出すとすぐに売れるという現象が起きました。
それはなぜか?
大手と私の違いは、
この物件が売れなかったら、私は倒産する。家族が露頭に迷う
そんなギリギリの背水の陣の私と、たくさんのお客さんを抱えていてその中で売れればいいやと思っている大手不動産仲介会社では、物件に向き合う気持ちが違うことに気づきました。
失敗と繰り返しながら試行錯誤を繰り返し、総額8億、55件の不動産を買っては売ってを繰り返し、中古の古い戸建てやマンションでも売れるノウハウが出来上がったのをきっかけに自分で不動産を買うのをやめ、一般のかたの不動産売却をお手伝いしようと思いました。
不動産売却の相談を聞いているうちに
・相続した実家のあり方で困っている人がいる
・そうったお悩みは女性の方に多い
・女性が不動産会社に相談するのはハードルが高い
ということがわかりました。
世の中には相続した実家、不動産でお困りな女性の方がたくさんいる。
そんな女性のお役に立ちたいと思い、今は女性の方を対象に相続した実家の売却をお手伝いをするようになりました。
おかげさまで、相談いただきました女性のかたから
しっかり話を聞いてくれた
相談しやすい
実家のことをお任せしたい
などのお声をいただけるようになりました。
今迷われているあなたへのメッセージ
ちょっとの勇気で物事が全てうまくいくかもしれません。
私の個別相談では、身の上話、相続のこと、兄弟姉妹や親族との関係、ご実家を売る、貸す、活用するなどの相談を受けています。
1回の相談では解決策を提案できないこともありますが、私のクライアントさんは全員解決しておりますので、ご安心ください。
そして、ここまでお読みになってわかると思いますが、強引な営業はしてません。というかできません。もし、あなたが今、なにかしら悩んでいる、困っていることがありましたらお気軽にご相談ください。
個別相談は無料です。
下記より、個別相談したい日時、お名前、メールアドレスを記入すれば、オンライン会議システム(zoom)にて無料で相談できます。